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素潜りエッチ@競泳水着に関するえっち、マニア行為

1 :名無しさん@競水えっち : 2020/01/24(金) 06:20:04.58 ID:VkQy1Yys 通報
スキューバなしでの素潜りエッチの体験談や目撃談などあれば書き込んで下さい。


272 :名無しさん@競水えっち : 2025/05/31(土) 14:18:56.68 ID:G4xN62iY 通報
>>271

もう亡くなってしまった遠縁のおじさんが若い頃に養殖業など営んでいて
水産関係もとても詳しくて日本海側や太平洋側の一部優秀な海女集団の話
をしてくれた事があります
日本海側の優秀海女集団というのは主に江戸時代から活発に活動していたけど
元々のルーツは朝鮮半島→福岡方面の海女集団が日本海側を遡上してきて能登半島や
一部福井などに定着し、中には津軽半島まで進出した海女もいたけど
気候があまりにも過酷だからやがて消滅してしまったという事と
太平洋側の優秀な海女集団は一部礼文島方面や戦前の南樺太、千島列島に出稼ぎに
いったけど過酷な割にはそれほど稼げなかったから消滅してしまったのだそうです。



273 :名無しさん@競水えっち : 2025/05/31(土) 14:50:16.21 ID:wf049SkM 通報
ポイントは戦前戦後の優秀な海女集団というのはとても稼ぎが良くて
旦那や子供を甘やかして贅沢させる甲斐性があった事で
それで家庭では絶対的決定権があり、村では技能集団みたいに独特の
位置づけがあって頑張れば頑張るほど稼げるというので戦後はかなり
競争心に煽られて無理してしまったエピソードはあったみたいで、事故が
増えすぎるのはいかんと昭和40年代以降は漁期、作業時間、作業地域を
制限して事故防止と資源保護に切り替えたのだそうです
そうした流れの中で養殖漁業が奨励されたというのもあったらしいです。

戦前に礼文島や樺太、千島列島方面にまで出稼ぎで潜った海女の話というのは
記録が少なく、経験者も既に生存していないのですが、7.8月しか稼働出来ない上に
夏でも海水温が低くて男海士は浅瀬でしか作業出来ず、女性の腕の良い大海女でも
15mぐらいの深さが限界で冷えもきつすぎる、それで思ったほど稼げないので
一シーズンの出稼ぎで辞めてしまったり現地男性と結婚して土着してしまう
ケースもあったらしいです。

海女の里として江戸時代から漁業権や様々な権利を持ち、もっとも人数の多かった伊勢志摩方面や
舳倉島輪島の海女も昭和20年代以降になると取れば取るだけ稼げるモチベーションから
乱獲による資源減少により能力限界いっぱいいっぱいまで潜っており、
中には海底での獲物取りで欲をかきすぎて心臓発作起こしたり溺れたりあったけど
当時はほとんど心臓発作という事で片付けられていたそうです

普通の人なら素潜りしないような深いところまで潜り、欲をかいて漁に夢中になり、
それでトモカツギだのなんだの幻覚見ながら動けなくなって眠ってしまい
命綱引っ張られても岩場に引っかかってしまいそのまま終わってしまうとか
どんだけ、と思うけど、顛末みた経験者の話としては、悲しいけどやっちまったな
というのと、最後まで頑張ったんだなと名誉の戦死みたいなのはあってそうした
親の姿を見て更に技を磨くなんて勇敢さもあったようです
稼げない時代になると命張ってまでというのはいなくなったそうです。


274 :名無しさん@競水えっち : 2025/05/31(土) 15:02:50.65 ID:aHHimmvc 通報
遠縁のおじさんが話すには海女集団でも最も勇敢な女性たちは常に生命の危険と
隣合わせだったので性欲もひときわ強くて、よく言われる海女の奇習や海女の夜這い
というのもあっただろうと言っていました。
夜に沿岸漁業操業している男衆に海女が近づいて身体を求められたら共に海で食ってる
同士だからそりゃ色々あっただろうという話でした。
腕の良い海女は稼ぎも良かったのでそれぞれの言い伝えや趣味で男性を選び、敢えて
大都市インテリ層の男性をウチにくれば一生食わしたると婿養子として引き込む
ケースも多かったらしいです。



275 :名無しさん@競水えっち : 2025/05/31(土) 21:41:48.84 ID:StbxWlGw 通報
海女妄想ありがとうございます。


276 :名無しさん@競水えっち : 2025/05/31(土) 23:06:30.65 ID:3SSko/eo 通報
海女と一口に言ってもピンからキリまでいたと言うことで、おじさんが言うには
戦前には北海道、樺太、千島列島へ出稼ぎにいったり、今は北朝鮮、当時は
日本領の海女のいない地域へチャレンジするような猛者もいたそうです。

南洋諸島などへチャレンジするのは寒さに弱い男性の潜水夫が多く、北の冷たい
海域にチャレンジするのは比較的寒さに強い女性の海女が多かったそうですが
それでもあまりの海水の冷たさに耐えきれずワンシーズンで諦めて帰って来る人が
多かったそうです
それで多くの海女がホームグラウンドの海域で深い海域にチャレンジして、それも
限界に達して事故などが増えて昭和40年代以降は漁期や作業海域を制限し
その代わりにウエットスーツ着用可能として資源保護に務めたそうです
近年ではあまり稼げなくなった事もあって海女志望者は激減し、無理なチャレンジも
しなくなったそうです

だから海女の夜這いや海上で漁師とランデブーといったロマンチックな話は昭和初期から
昭和30年代までの短い期間の話だったそうです。



277 :名無しさん@競水えっち : 2025/05/31(土) 23:23:36.60 ID:3SSko/eo 通報
本人は海女ではなくて市場で魚でも肉でも運び、零下50℃以下の凍結庫
にも勇敢に入って作業するフィジカル強い女性と知り合った事があったの
ですが
祖母の代まではガチ海女で本人も潜り教えてもらったので学校の体育授業では学年で
潜水1等だったり海ならかなり沖合でも泳げるというなかなかの猛者がいましたけど
家系的には心肺能力みんな高くて、本人はプラス力持ちだったのですが
祖母のような海女にはなれないと断念したらしく、海女は心肺能力と潜水力も必須だけど
それにも増して目の良さと苦しくなった時の冷静沈着さがとても大切でそれが自分には
欠けていたような事を言っていました
息長く止めすぎて心臓バクバクになって鼻から海水いっぱい飲んでしまうような状況に
なってもベストを尽くさないといけないし、失神するのは海女の恥だからすぐに失神して
楽になってしまうタイプも務まらないと言われたそうです
だから海女だった祖母は70代になっても健診の数字が50歳ぐらいの健康さでパワフル
だったけど最後は全く違う形で命を召し上げられてしまったのだそうです。




278 :名無しさん@競水えっち : 2025/05/31(土) 23:35:58.65 ID:3SSko/eo 通報
日本で海女用のゴーグル、次いで一眼式の水中マスクが普及し始めたのは
明治時代後半以降の事で、遠縁のおじさんの更に祖父母の時代だったそうです
大正時代の写真が残っていて見せて頂きましたけど、短足寸胴なのは仕方ないけど
ゴーグル入手して喜んでいる笑顔もその前の素で潜っていた頃の写真もありましたが
古風な美人さん的な感じで網元さんの親戚をゲット出来たらしく、それで良い生活も
出来たらしいです。
それで無理な出稼ぎをせずに済んだり、事故になるような無理な潜水もせずに済、そこそこ
長生き出来たらしいです。
ゴーグル普及するまでの海女はそれほど深く潜れなかったし、海水で目をやられ、耳鼻をやられ
難儀する人が多く、特に鼓膜を何度も破ったり、中耳炎などが慢性化して耳が遠くなり
耳鳴り頭痛に悩まされて海女稼業引退する人が多かったそうです。

耳の奥にまで海水が入ると耐え難い苦痛だったそうです。


279 :名無しさん@競水えっち : 2025/06/02(月) 11:25:44.24 ID:iNY6CyiM 通報
海女妄想ありがとうございます。


280 :名無しさん@競水えっち : 2025/06/02(月) 11:35:55.90 ID:iNY6CyiM 通報
このカテゴリーの潜る系のスレッドは、1人の方が書き込んでるのかな?
だとしたらお疲れ様です。


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