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昭和30年代の生理帯や生ゴム等フェチの集い!@競水以外のフェチ全般

1 :たかや : 2018/06/30(土) 14:27:24 ID:xAKStliY 通報
昭和30年代にあった、生ゴム張り生理帯の話しや、
生ゴム製の下着について話しましょう。

まだナプキンの性能があまり良くなかった時代に、パンティーの底の部分に
生ゴムが張りつけてあり、漏れを防いでいました。
女性にとっては不快なパンティーも、男性にとっては
インパクトのあるパンティでした。

特に洗濯カゴに、生ゴムが剥き出しになるように脱ぎ捨てられた生理帯。
生ゴムの匂いと手触りには、頭の中が真っ白になりました。
また、ベランダにタオルで隠す様に干されていた裏返しの生理帯。
風邪に吹かれる生ゴムのプルンプルンした黒の生理帯。
皆さんの「生ゴム張り生理帯」に対する思いでを、
聞かせてください。


239 :古希通過 : 2024/12/10(火) 14:48:32.58 ID:5vDs4ch2 通報
誤り、古希通過です。
このころはちょっと裕福だったのか母は月経がはじまると赤ちゃんの布のおしめのように脱脂綿
をたっぷりと使うのです。そしてモンペをはいていました。おしりが脱脂綿で膨らんでいましたから
想像してみてください。黒色の厚めの月経帯、中にはあめ色のゴムの帯その上にたっぷりの脱脂綿
を当てて履いているのです。ときどき母が忙しいせいか、布団の中にはさんでわすれていることが
あるのです。それを見つけた時の喜び。月経帯の中のおしめのような脱脂綿の大きさ。
半分が真っ白、半分が出血で真っ赤で重たいのです。すぐに真っ白なほうに穴をあけてキンキン
を中に入れます。真っ赤になったほうの脱脂綿はおしりに食い込ませて月経帯をはきます。
きんきんはふわふわにつつまれ。お尻は出血した脱脂綿が食い込んで何と言ったらいいのでしょうね。
とにかく天国。このあとはまたね。


240 :母の月経帯 : 2024/12/11(水) 12:49:29.26 ID:ZUD7DX5k 通報
古希通過さん、モンペと月経帯、想像するだけで股間が反応します。
お母様の脱脂綿と月経帯の「天国」、詳しくお聞かせください。


241 :古希通過 : 2024/12/15(日) 15:08:02.59 ID:gwZCX8VU 通報
うちの母たちは、月経と言わず、メンスと言ってました。ですから月経帯とは言わずメンスバンド
でした。さらにカット綿という小さい脱脂綿を使わずにあかちゃんのおしめのようなおおきい
脱脂綿をそのまま使っていたようです。1日1回の交換です。
ですから、母たちのメンスバンドは、大きく手、中にはゴムのふんどしのような物がついていて
おおきい脱脂綿を股に当てていたのです。脱脂綿が大きいのでそれがわからないようにモンペを
穿いていたのでしょうね。ですから家のタンスにはいつも白十字の脱脂綿が3袋程度ありました。
で、母がその処理を忘れると黒のメンスバンドの中にたっぷりの脱脂綿が引いて会って半分前は
真っ白いそのままで、後ろ半分はたっぷりと出血した脱脂綿があったのです。
誰もいないことを確認して,それをはきます。前は真っ白い脱脂綿がきんきんを包み込み
後ろには、出血した脱脂綿がしりに食い込みメンスバンドを引き上げます。これがメンスなのです
柔らかい脱脂綿がきんきんをやさしく包み込み、尻には血がついた脱脂綿が食い込みます。
鏡の前に立ってみると股がたっぷりと膨らんだメンスバンドを穿いた私の姿が。まちきれず
いそいで手を動かすともう脱脂綿のなかに出てしまいます。






242 :母の月経帯 : 2024/12/20(金) 12:48:58.36 ID:iRVewA3Q 通報
そうですね、メンスでした。
子どものころ両親の会話で、メンスという言葉を聞いたことがありましたが、意味は分かりませんでした。
血が付いた脱脂綿を初めて見た時は、怖くなかったですか?
古希通過さんの体験、ドキドキします。白のメンスを出した後はそのままタンスに戻したのでしょうか。


243 :古希通過 : 2024/12/26(木) 20:59:29.08 ID:1IgQORqs 通報
メンスバンドの前開き、ボタンが3っつあったメンスバンド。考えてみるとあれって
カット綿を使用している女性用だったんですね。前のボタンをとると股が開く。そして
メンスで出血したカット綿を新しいものと取り換える。でしょうね。
うちの母なんては、1日に1回の取り換えですからおしめのようなおおきい脱脂綿を
当てていました。股の脱脂綿の厚みは3センチはあったのではないでしょうか。
脱脂綿1袋を使えば前はへその下から後ろはお尻の上まで脱脂綿で包むことができるのですね。
へその下から、お尻の上まで脱脂綿に包まれている。甘美感と安心感に包まれて。
母は、使った脱脂綿は木で燃やして炊き上げるおふろで燃やしてましたから、白いメンスは
きずかなかったのでしょう、私は今でも1袋プラス0.5の脱脂綿を縫い付けて長いおしめに
して、よこのひもで落ちないようにしてつまり脱脂綿のふんどしにして黒の2lの生理帯をはいてます。
白いメンスは出しません。その間の感触を楽しんでます、



244 :母の月経帯 : 2024/12/29(日) 13:26:18.36 ID:R9.SPFUE 通報
脱脂綿も高かったでしょうに、汚れていないところは使いまわしてはいなかったのでしょうか。
うちは貧しかったので、母親は手作りの布を何枚も重ねたもっこ褌のようなもので脱脂綿をはさんでいたと思います。
当時はメンスについては知らなかったので脱脂綿を使うことも知らず、布が茶色に染まっていました。
当時父親は越中だったのでだったので、褌は白だと思っていましたから。
母親のもっこ褌は不思議でした。
こっそり履いてみると雑巾のように縫ってあるので、股がゴワゴワ刺激され、気持ちよかったです。

古希通過さんの脱脂綿おふんどしおしめ、柔らかくて気持ちいいでしょうね。


245 :古希通過 : 2024/12/31(火) 09:41:36.64 ID:.BAnTUOM 通報
もしかしたらこのメールって2人のやり取りかな。と思ったりしたのですが
4~50代でもしりませんよね。昭和35年代ですから。あの時代は逆に良かった。テレビも電話
も普及しておらず、子供たちはランニングに半ズボンで蝉取りですよ。
その中にあって、我々ませがきは性に目覚めていったのです。

性といえば女性の下着でしたね。小学校では女生徒だけの特別授業
もう興味舜俊でした。
「女はおまんこから血が出るんだ。だから綿をあててるんだ」これがきっかけでしたね。」
母が一番近い存在でした。たまに干してある厚ぼったい黒のズロース。中には飴色のゴム
の帯が当ててある。まえにボタンが3っつあって前が開くようになってる。

ある日、その黒いズロースが裏庭に干してあった。なかにはあの飴色のゴムが。
なぜか、穿きたいと思いました。物置に入ってその黒いズロースを穿いたのです。
ああ・・ちんちんをつつむ飴色のねっとりとしたゴムの感触、尻のなかまでで包み込みます。
30分くらい穿いていました。だんだんと射精感がこみあげてきて射精です。
こんな気持ち良いことがあったのです。

その時から、いつも手ぬぐい2枚でふんどしを締めていました。きんきんを包み込み、股間
を刺激して、尻に木綿の帯が食い込んでるのがすきだった。
いっぱい書きたいけど次ね。たのしみにね。






246 :古希通過 : 2025/01/01(水) 11:14:44.37 ID:.jIYq5lo 通報
新年ですね。皆さんの声を聞かせてください。なんでもお教えしましよう。
それがないとペン(マウス)がはずまないのです。


247 :母の月経帯 : 2025/02/13(木) 11:54:44.68 ID:SK6mNWOU 通報
古希通過さん、久しぶりです。
脱脂綿なしの月経帯への射精、後処理が大変だったでしょう。
親は、子供の秘密は大体知っていたと思いますが、いかがでしたか?


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